私の徒然草

この書き留めは己を見つめ直す反面教師

イタリア アマルフィ - 2009年11月地中海にて(7)

最後の寄港地ナポリの手前、アマルフィを海側から見渡す。

 

岸壁にへばり付く様に家影が見える。

ああ、これが世界に名だたる憧れの太陽が滴るアマルフィーか。

 

上陸してみる。港から城門をくぐると直ぐ石畳の広場に出る。

 

右側に十数段程の階段が有り、其の上は荘厳な教会が威容を誇って居る。

 

階段には数十人が座り込み所作もなく広場を見下ろして居る。

 

巷に喧伝されて居る世界有数の憧れの聖地とは違い、軒を並べる広場の周りの建物は汚れとシミに覆われ見る者は言語を絶する。

 

反対側にアイスクリームを売る小店を見つけたので入ってみる。

 

小さなコーンに乗ったバニラが7.5ユーロ、パリの真ん中でも2ユーロもしない。

 

味はさすがイタリア、濃厚で美味しっかった。

 

広場の左側に細い緩やかな小道を見つけ上り始める。

 

建物の軒先はロープが張られ洗濯物がつるされ、玄関先は野菜、果物が所狭しと並べられ此の集落の日常が伺える。

この先に何が有るかと聞いてみると別世界で金持ちのヴィラが多数有り、ヨーロッパ各地から車で南下して来るそうな。

 

登っていく気もしなくなり港に戻る。

 

アマルフィも地中海沿岸の風光明媚と貧富の対局の顔を持つ。

エジプト アレクサンドリア- 2009年11月地中海にて(6)

アレクサンドリアに出る。何千年という縦軸に何百の顔をもつこの都会。 

 

裏小路に生活する人々の無気力、無表情。働き盛りの大人がたむろし、タバコを吸い、うつろな目でただ座っている。

 

アーバスにセキュリティが乗り込み、ポリスがバスを先導し、乗り降りもポリスに守られての行動。

 

各処でセキュリティが警護し、観光産業が動脈なのだ。この国の独立、王制撤去は何だったのか?

 

地中海に面して、かつては花咲いたであろう海岸線のアパートホテル群は廃墟。

 

夜の町は明かりがなく、王家の庭であった場所は市民に提供され、荒れ果てている。

 

アレクサンドリアの町は40数カ所のゲートで守られ、出入りは厳しくチェックされる。

 

中はうつろなのに何を守るのか?

エジプト ピラミッド - 2009年11月地中海にて(5)

三つのピラミッドとスフィンクスを見る。

 


あの時代にこれだけの壮大な宇宙観を持った古代エジプトに畏怖の念を覚える。

 

エジプト国立博物館ツタンカーメンのマスクを50センチ以内の距離で見る。

 

 

今でも色彩豊かな素地、精密な技術、その細工、どんな人々によって支えられてきたのか?


古代奴隷制はどのように作用したのか?

 

征服先の国から持ち込んだのは単に物質的なものだけでなしに技術、文明をも略奪してきている。


丸こと取り込み自分の物と同化させ、上澄みのみが残ってきたエジプト。

 

唯、強力なリーダーが消えた時、その流れは止まり、淀み、形骸化した物だけが土に埋もれ、ローマ人にサラセン人に移行している。

 

何時の時代も強靭な個性のリーダーが新しい局面を開いている。


スフィンクスの鼻はナポレオンによって削がれたとガイドが説明していた。

 


ガイドによれば、ナポレオン曰く“おまえは何千年もそのまま偉そうにしている、俺が変えてやる”と鼻を削いだそうだ。エジプトの多くの彫像が鼻を削がれているが、その原点はなんだろうか?


エジプトは軍事革命により民主化を図ったが、歴代の王制から軍部に変わっただけで、米国が奴隷制を廃止した折に、奴隷は何をして良いのか分からず、流浪の民になった例に漏れなく、働き場所や時を得ていない民が受けた恩恵は何だったのか?

 


この国は普通の国になるのに、後200年はかかるとツアーグループの一人が喝破している。民意がない。


ハイスクールまで無料でも、本がべらぼうに高く、学生は休みに働いても本代を稼ぐ事も出来ない。

 

若年層の失業がこの国の火種になる事は間違いない。

トルコ エフェソス - 2009年11月地中海にて(4)

トルコに後、30分で到着する。

 

クシャダス港に入港し、バスでエフェソスの遺跡に入る。

最盛期は30万人が住み、クレオパトラアントニウスがハネムーンに来た所だそうだ。

 

その規模は最大(世界で発掘済みの遺跡の中では)の町で、まだ20%しか発掘が済んでいないそうだ。


この驚くべき規模の町も蚊によるマラリアで人口が激変し絶えてしまったとの事。

 

そういえば、ローマ帝国も最後は疫病による消滅との研究もある。

 

今迄、古代トルコがギリシャ、ローマの影響を此処まで受けていた事やこの最大級の遺跡について何も知らされていなかった事に驚きを覚える。

七つの国と隣接し、税収の三分の一は軍事予算に廻される事を覚悟している国民、そして底抜けに明るい人々。

 

EU加盟が思うようにいかず、国民総生産等諸問題で規約を満たさず、加盟を許されていないトルコ。

 

でもツアーガイドによれば、それ等の諸問題が解決すればEUへの加盟は必要ないと明言している。

 

 

トルコ エフェソス - 2009年11月地中海にて(4)

トルコに後、30分で到着する。

 

クシャダス港に入港し、バスでエフェソスの遺跡に入る。

最盛期は30万人が住み、クレオパトラアントニウスがハネムーンに来た所だそうだ。

 

その規模は最大(世界で発掘済みの遺跡の中では)の町で、まだ20%しか発掘が済んでいないそうだ。


この驚くべき規模の町も蚊によるマラリアで人口が激変し絶えてしまったとの事。

 

そういえば、ローマ帝国も最後は疫病による消滅との研究もある。

 

今迄、古代トルコがギリシャ、ローマの影響を此処まで受けていた事やこの最大級の遺跡について何も知らされていなかった事に驚きを覚える。




七つの国と隣接し、税収の三分の一は軍事予算に廻される事を覚悟している国民、そして底抜けに明るい人々。

 

EU加盟が思うようにいかず、国民総生産等諸問題で規約を満たさず、加盟を許されていないトルコ。

 

でもツアーガイドによれば、それ等の諸問題が解決すればEUへの加盟は必要ないと明言している。

ギリシャ ミコノス島 - 2009年11月地中海にて(3)

ミコノス島に入港する。


第一級の海岸線をもつこの島、常に海賊や外部からの標的であったようだ。


町に出てみる。


細い石畳みがくねくねと続き、観光客相手の土産物が所狭しと軒を連ねる中、多くの観光客で歩くのもままならない。


ふっと、こじんまりとしたショウウィンドウに金で縁取りされたギリシャ模様のキオニスの美しいネックレスを見かける。

 

店の中に足を踏み入れると年子さんという日本人女性が出迎えた。

 

 

故郷の茨城を離れて40年。

 

交換学生としてギリシャアテネに渡ったのが始まりで、アテネから渡し船で二時間のこの島に手伝いきているそうだ。

 

彼女の望郷の念をその勢いの良さの陰に垣間見て胸が痛む。

 

随分働いたであろう。その手をみていると文化の違う所に生涯をかけるのは、自分を矯正するか、殺すしかない。

 

海を右手にでこぼこの石畳を進むと突然、目の前の小高い丘に風車の群れが広がった。

 

風が強い気象条件を味方に小麦を引き、古人は沢山のパンを焼いて居たという。

 

年子さんの案内で風車の裾野にある伊勢海老の専門店に出かけた。

 


前歯の欠けた小柄な男が、5ポンドも有るかと思われる大ぶりの生きた伊勢海老を抱えてきて年子さんに大声で何かを話しかけた。


これ又、大声で怒鳴り返し交渉は成立した様だ。

 

彼女曰く、見せるのと調理して出てくるのは通常、別物で、私が付いて居るから大丈夫と鼻の穴を開いた。


ああ、観光地、此処に生きる者の「一期一会」。


此の人の人生を共有出来る人は少ないだろうけど、その生き様に感動する人は多い筈だ。

 

あの目は尋常ではない。

 

何が彼女をあそこまで頑張らせたのか?望郷?意地?

 

アテネの大使館に本マグロを届けた話。

 

そのお返しが賞味期限の切れたカップヌードル

 

余りに辛すぎる話ではないか?だから彼女は意地で頑張られたのか?

 

日本では海外に嫁に出た娘達は両極端に分かれるようだ。

 

お前が帰ってきても帰る場所も部屋もないと言われる組と町をあげて歓迎される組と海外での成功の度合いが全てを決するようだ。

 

パリに嫁に出たのとギリシャに嫁いたのとでは評価が大きく変わり、日本人の心情をそのまま反映している。

 

ギリシャ サントリーニ島 - 2009年11月地中海にて(2)

朝、カーテンを引く。ベランダーの向こうに巨大な岩の塊を見る。


“エッ、あれは何だ”地図を見るとサントリーニ島の南側の様だ。


何千年もの昔、ギリシャを制圧した人々の技術と英知と勇気、英断に驚く。

 

まるで城塞だ。


その原点は何だろう。


目前に島影が広がる、明りが沢山、まだ明けきらぬ空に映える月との調和も美しく、点在する島々を見ていると古代人の夢とロマン。

 

この海原で何を求めたのか?

 

サントリーニにもうじき上陸する。

 

1956年の地震で壊滅の打撃を受けたこの島も上手に修復なされ、観光地としての地位を確立している。

 

2000の人口。ロバの数が人間より多く、400以上の教会があり、殆どが私有との事。

 

デザート・ワインが上質で、ポートワインに似ているが美味。

 

名前負けしている観光地だ。サラダの野菜は抜群に美味だった。


失われたアトランティスとの説が強い。

 

6万年前にヨーロッパ、アフリカが陸繋ぎだったそうだが、地震で分かれ、その後も数回地殻変動があり、現状に至る。


港には3隻の豪華客船が停泊して居る。

 

世界有数の観光地に相応しい景観だ。

 

下船すると、目前に聳り立つ崖這う様に、頂上の町、フィラにケーブルカーが上下するのが伺える。





ロバや徒歩が一般的だが時間が掛かるのが難点だ。

 

数ある観光の目玉を数カ所見て回り、やはりサントリーニは目前に広がるエーゲ海と陽光に支えられて居ることを痛感する。

 

廃墟すらその光の恩恵を受けて輝いている。

 

この地を代表する白壁とコバルトブルーの建物も全てが一体となり紺碧の海に溶け込んでいる。

著名なwineryの一つを訊ねる。まるで酒屋のスーパーマーケットに入った様で旧式の大形cash resister の数が、売らんかなの熱気を感じさせる。

 

壁などは無く柱に支えられた屋根、山積みされたWineの数々、つまみも色取り取り。


眼前に広がる紺碧の海と飲み放題の振る舞い酒。



引き摺り込まれれる。

 

この地のWineは葡萄を籠で包んで育てるとかで甘味が程よくデサートワインは絶品である。

 

Port Wineに似た芳香と程よく舌に感ずる刺激と恐らく名だたるSauterne にも匹敵する銘酒。

 


これは何にも増して隠れたサントリーニの魅力。

 

陽光の中、夕暮れの迫り来る至福の感覚、全ての感性が蘇る。

 

太陽を海風を満身に受ける。

 

自然の恵みを満身に受けてサントリーニは其処にある。


秋が近づくと海が荒れ仕事がなくなる。島民はヨーロッパに出稼ぎに向かう。